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2009年10月22日 (木) | Edit |
  • 編集元:世界史板より「大東亜戦争の事を俺に叩き込んでくれ!

    1 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 15:34:43 O

    興味はあるが知識はない。事の始まりから終戦までの成り行き等何でも叩き込んでくれ!

    2 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 15:57:24 0

    元々日本は日中戦争をやっていたんだが、米英等が中国を支持、
    中国に多額の援助を行なった(俗に言う援蒋ルート)。
    この頃から一気に日米関係が冷え込んできた。
    アメリカが一方的に日米修好航海条約を破棄、いつでも合法的に貿易を
    制限できるようになった。

    3 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 16:03:24 0

    >>1
    大東亜の豊富な労働力をめぐってロシア帝国とイギリスが争った130年に渡る冷戦。
    別名「グレート・ゲーム」

    4 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 16:05:18 O

    ありがとうございます!なるほど。でも何でアメリカ、イギリス等は中国に援助したのかな?イギリスなどの国は中国に植民地?租借地があったんだろうけどアメリカは中国進出はしてないですよね?

    6 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 16:07:10 0

    >>4
    アメリカも中国の権益が欲しかったから日本の草刈場的な事はさせたくなかったんだよ。


  • 5 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 16:05:47 0

    1939年に昭和天皇より大命降下。内容は
    「米英との協調を方針とすること」
    これにより日本は日米修好航海条約に変わる新条約を締結しようとした。
    そんな中9月1日に第2次世界大戦が勃発、翌年アメリカは国防強化促進法を可決、
    軍需物資の輸出を許可制に、各種工業原料は制限された。

    7 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 16:13:30 0

    海軍軍令部の主張は
    「米英から全面禁輸をかけられたら、戦争が出来ない。南方の資源を得えければ」
    それに適した場所があった。
    蘭領東インドだ。
    政府はオランダとの交渉を急いだ。
    しかしまたも援蒋ルートの壁が立ちはだかった。
    その頃欧州戦場は枢軸国の連戦連勝、パリを占領した為仏印からの援蒋ルートが消え、
    日本に歩み寄りを見せた。

    8 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 16:18:29 O

    なるほど。要は日本は中国に既に進出していた。イギリス等の国々は後から進出してきた日本を苦々しく感じていた。アメリカは自分も利権が欲しくていちゃもんを付けて介入してきた…てことでいいんですかね?あれ?日本はイギリスと同盟国じゃなかったんですか?

    10 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 16:27:05 0

    >>8
    第1次世界大戦後のワシントン会議で日英同盟は解消されていた。

    9 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 16:23:19 0

    蘭領東インド(現インドネシア)を得る為にはイギリス領の
    シンガポール、香港を攻略しなければならない。
    そしたらアメリカが参戦するかもしれないって事で日本国内は2つにわれた
    陸軍は
    「戦争対手はイギリスのみにするよう努める」
    海軍は
    「早期対米海戦は必須、充分な覚悟と装備無しでは南方への進出はしてはならない」
    っていう意見だった。
    国内世論は反米英、新枢軸国の機運が高まっていた・・・・・・。

    11 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 16:33:22 0

    そんな時に日独伊3国同盟を締結。
    フランスとの交渉で仏印へ進駐した。
    アメリカは仏印進駐に激怒。
    10月16日に日本への屑鉄・屑鋼及び屑銅の全面禁輸を行なった。
    イギリスも一時停止の協定が結ばれていた援蒋ルートを一方的に再開した。
    更にアメリカは石油の輸出を制限、日本は正式抗議を行なうも黙殺された。

    12 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 16:42:36 0

    日米関係の悪化を狙った日本のチャップリン暗殺計画が1932年だ。
    日本軍のアメリカへの無差別テロを狙った風船爆弾の開発がスタートしたのが1933年。
    風船爆弾はジェット気流を利用した対アメリカ専用の無差別テロ兵器だが、
    こんな昔から日本はアメリカへのテロ計画を進めてる。
    アメリカが、日米親善のためにベーブ・ルース、ゲーリックらMLBオールスターを
    日本に送ったのは1934年のこと。
    南京大虐殺、パネー号撃沈事件が1937年だ。
    真珠湾攻撃が1941年だ。

    日米関係が良好だった時点から日本はアメリカへの無差別テロを計画している。

    13 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 16:44:01 0

    この石油の禁輸が致命的だった。
    全需要約500万tの1割も自給できない日本はこの殆んどを米英ブロック件から輸入していたからだ。
    1941年1月の末、米英の代表がワシントンで対独伊対日の軍事会談を行なった。
    日本は井川忠雄、野村吉三郎が渡米、対米交渉に乗り出した。
    3月13日ハル国務長官に報告、3国同盟からの日本の脱退、ドイツへの全ての物資の供給停止。
    原則的協定案を作成した。

    14 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 17:08:24 0

    4月16日、日米了解案の最終案が作られ、最後の日米交渉を開始した。
    アメリカは他国の内政不可侵、全ての国家の領土保全と主権尊重など
    が盛り込まれた「ハル4原則」を提示。
    その頃当時の外相、松岡外務大臣は独、伊、ソを相次いで訪問。
    独ソ関係の破綻を信じずモスクワで日ソ中立条約を結ぶ。
    5月3日、「ハル4原則」の修正案である松岡3原則を提唱、5月12日に
    ハル長官に手渡した。
    その松岡3原則の内容が
    1、支那事変(日中戦争)への貢献
    2、3国同盟に抵触しない
    3、国際信義を破らない
    だった。

    15 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 17:17:37 0

    松岡外相は更に、ソ連とも組んで交渉しようと、ソ連との交渉を開始、
    しかし、6月22日、突然の独ソ開戦により交渉を断念。
    対米強硬派の松岡外相を更迭、7月18日には内閣も総辞職し(この前にも何度も総辞職はあった)
    新しく内閣を組閣した。
    一方、米英の介入で日蘭の経済交渉は難航していた。(ABCD包囲陣等)

    17 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 17:23:12 0

    >>15
    >松岡外相は更に、ソ連とも組んで交渉しようと、ソ連との交渉を開始、

    松岡はソ連を取り込んで、日独伊ソの4国でアメリカ包囲網を形成するつもりだったようだね。
    それが破綻し逆にABCD包囲網を食らうとは。

    16 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 17:21:52 O

    なるほど。戦争の始まりからして米国の作為的なものを感じるのは自分だけでしょうか?それはさておき日中戦争に突入した時点で日米会戦は避けられなかったって事かな?

    18 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 17:24:44 0

    >>16
    >戦争の始まりからして米国の作為的なものを感じるのは自分だけでしょうか?

    反米家はみんなそう言うんですよw

    20 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 17:33:17 0

    >>16
    戦争の始まりってどの戦争の?
    日中戦争(宣戦布告しなかったので当時は日華事変)の始まりのこと?

    23 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 18:04:44 0

    >>16
    避けられるものではありましたね。
    ただ軍が暴走しすぎたなと。

    26 世界@名無史さん :2007/03/27(火) 18:27:26 0

    日本は事態を打破すべく日米首脳会談(近衛メッセージ)を提案、しかしハル国務長官は
    回答をはぐらかした。
    そして8月14日には大西洋憲章をイギリスと合同で発表。
    そして近衛メッセージには明らかな時間稼ぎのための予備会談の実施を要求する内容の回答。
    陸海軍は絶望的な空気が流れていった。
    同日、「帝国国策遂行要綱」を採択。内容は

    既ね10月下旬を目途として戦争準備を完整す。
    10月上旬頃になっても
    なお我が要求の貫徹し得る目途なき場合に於ては
    直ちに対米開戦を決意す

    と言う内容のものだった・・・・・・・・・。

    65 世界@名無史さん :2007/04/03(火) 20:10:19 0

    >>26は根性で、何時もスルーされる
    1942年8月から19年2月の南東方面の戦況について書いて欲しいな。
    勝っている間と、ボコボコに米英にボコられるだけのマリアナ以後とか、
    被害者丸出し、外交感覚ゼロの対ソ和平打診あたりはもうええから。

    その辺を詳しく、続けばだが。

    71 >>26 :2007/04/04(水) 14:02:51 0

    >>65
    そこら辺はもう少し待て。

    0328(日本時間)
    米軍の無線放送
    「真珠湾攻撃は演習にあらず」
    0335(日本時間)
    「我主力を雷撃す、効果甚大〇三三五」
    「我敵大巡を雷撃す、効果甚大〇三三五」
    0340(日本時間)
    「我フォード島ヒッカムを爆撃す〇三四〇」
    「我敵主力を爆撃す、地点、真珠港〇三四〇」
    0345(日本時間)
    「格納庫三棟、地上飛行機五十機炎上〇三四五」
    0357(日本時間)
    「雷撃後防御放火あり〇三五七」
    0405(日本時間)
    「フォード島基地に敵飛行艇多数あり〇四〇五」

    32 >>26 :2007/03/28(水) 11:13:40 0

    これに対し9月4日の御前会議で及川海軍大臣が反論。
    「戦争準備と外交はどちらも力を尽くし、戦争については別に廟議で
     允裁を仰ぐべきだ」
    しかし此処で、慣例から御前会議では一切発言をしない天皇が発言。
    「四方の海 皆同胞と思ふ世に など波風の 立ち騒ぐらむ」
    前代未聞の出来事だった。
    会議後、武藤章軍務局長はこう言っている。
    「これはなんでもかんでも外交を妥結せよとの仰せだ。ひとつ大いに
    外交をやらなきゃいけない。俺は情勢を達観しておる。これは結局戦
    争になるほかない」

    上の続き
    「だが大臣や参謀総長が天子様に押しつけて戦争になったのではいけない。
    天子様が御自分から御心の底からどうしても止むを得ぬと御諦めになって、
    ご納得の行くまで手を打たねばならぬ。
    だから外交を一生懸命やってこれでもいけないという所まで以っていかぬと
    いけないのだ」

    34 大東亜戦争に至るまで :2007/03/28(水) 14:25:23 0

    1.対米関係の悪化
    ・1924年 排日移民法
    ・1936年 日独防共協定締結
    ・1937年 パネー号事件
    ・1938年 東亜新秩序声明
    ・1940年 日米通商航海条約失効
    ・1940年 日独伊三国軍事同盟締結
    ・1941年 ハル・ノート
    2.日本の孤立
    ・1931年 満州事変→・1932年 満州国建国→・1933年 リットン報告書・国際連盟脱退
    ・1934年 日英同盟の失効
    ・1934年 ワシントン海軍軍縮条約廃棄通告→・1936年 同失効→・ロンドン海軍軍縮条約脱退
    ・1937年 支那事変勃発 
    3.対ソ連関係の変化と南進論の台頭
    ・1934年 ソ連、国際連盟加盟
    ・1938年 尾崎秀実 第1次近衞内閣の嘱託→・1941年 ゾルゲ事件
    ・1938年 張鼓峰事件→・1939年 ノモンハン事件
    ・1939年 国際連盟、ソ連を除名
    ・1940年 仏印進駐
    ・1941年 日ソ中立条約締結
    4.経済的混乱と農村の疲弊
    ・1927年 昭和金融恐慌
    ・1929~33年 世界大恐慌→・1930年 生糸相場の暴落
    ・1931~34年 北海道・東北の冷害・大凶作
    ・1932~45年 満州農業移民
    ・1932年 社会大衆党結成→・1940年 大政翼賛会発足
    5.政党政治の崩壊と軍部の台頭
    ・1932年 五・一五事件
    ・1936年 二・二六事件

    35 世界@名無史さん :2007/03/28(水) 15:12:47 0

    日米関係の悪化を狙った日本のチャップリン暗殺計画が1932年だ。
    日本軍のアメリカへの無差別テロを狙った風船爆弾の開発がスタートしたのが1933年。
    風船爆弾はジェット気流を利用した対アメリカ専用の無差別テロ兵器だが、
    こんな昔から日本はアメリカへのテロ計画を進めてる。

    36 世界@名無史さん :2007/03/28(水) 16:09:54 0

    >>35
    >日米関係の悪化を狙った日本のチャップリン暗殺計画が1932年だ。
    515事件の首謀者の青年将校の計画だね。
    でも、もっと前からテロはあった。
    1910年 - 幸徳事件
    1923年 - 虎ノ門事件(虎の門事件とも表記される)
    1925年 - 朴烈事件(「朴烈、文子事件」とも呼ばれる)
    1932年 - 桜田門事件(李奉昌事件とも呼ばれる)
    もっと遡れば、
    1884年 - 群馬事件、秩父事件
    もっと遡れば、
    1860年 - 桜田門外の変
    1861年 - 第一次東禅寺襲撃事件
    1862年 - 生麦事件、坂下門外の変、第二次東禅寺襲撃事件

    37 世界@名無史さん :2007/03/28(水) 16:42:44 O

    勉強になります。風船爆弾なんてほんとにあったんですね。国力の無い?軍事的な技術の少なかった日本の精一杯の反抗のような気がして悲哀を感じます。風船爆弾で米国に被害を与える事はできたんですかね?

    39 >>26 :2007/03/28(水) 17:18:37 0

    >>37
    被害はありました。
    風船爆弾は当時日本だけが知っていたジェット気流(偏西風の事)に乗せ、
    アメリカ本土まで飛ばし破壊するというものだったんですが、
    オレゴン州で木に引っかかった風船爆弾に触れ女性1名、子供5名が死亡しています。
    更にプルトニウム製造工場の送電線に引っかかって原爆の完成を遅らせたりと、
    あほな兵器なのになかなかのダメージを与えています。

    40 >>26 :2007/03/28(水) 17:31:07 0

    近衛首相は即日グルー米駐日大使と会見
    「日米の誤解を解消したい。交渉成立の為に速やかに首脳会談をする必要がある」
    この熱意に討たれグルーはホワイトハウスに報告。
    しかしホワイトハウスはこの報告を握りつぶした。
    ハル国務長官の回顧録はこう記している

    その頃になると、自分は日米交渉が成就する見込みはほとんどないと
    思っていた。
    自分の主たる任務はアメリカの太平洋方面に対する軍備が整うまで
    日米開戦を引き伸ばすことだけだった。

    41 >>26 :2007/03/28(水) 17:41:21 0

    10月4日
    待望の回答が届く。
    しかし内容は日本の非難のみだった。
    10月14日に再び連絡会議が開かれた。
    当時陸軍大臣であった東条英機
    「外交交渉が必ず成功する確信があるなら戦争準備はやめてもいい」

    松岡外務大臣
    「交渉の中心はは支那からの撤兵問題だ」

    近衛首相
    「前途に見通しのつかない大戦争に突入することはなんとも同意し難い。
    ここは一時支那から撤兵して日米戦争の危機を救うべきである」

    これに対して東條陸軍大臣の反論
    「たとえ今アメリカに譲歩しても独伊を撃破した後に日本打倒に向かってくる。
    既に支那に対して無賠償、無併合を声明しているのだから、せめて駐兵ぐらいは
    当然だ」

    42 >>26 :2007/03/28(水) 19:22:36 0

    意見の対立から近衛内閣は総辞職。
    東条英機が宮様の内閣を作ろうとするも木戸内府に反対され失敗。
    しかし次の総理大臣になったのは東条英機その人だった。
    東條は外務大臣に東郷茂徳を任命。
    17時間に渡る会議の末、2つの案が出来た。
    甲案と、更に譲歩した乙案である。
    更に新しい「帝国国策遂行要綱」を作成
    日米交渉は11月一杯が期限。成功すれば武力発動中止。
    しかし外交最優先と決めていた東條は失意を隠しきれず
    11月2日夜、陛下に説明した際に涙を流した。
    11月7日、野村大使はハル国務長官と会談。甲案を手交。
    しかし、この時既にハルは甲案、その後に控えている乙案についても
    知っていた。
    当時外務省が使用していた機会暗号装置、97式欧字印刷機(通称パープル暗号)
    はアメリカ政府に解読されていた。(この当時世界一分り難いとされていたが、アメリカが何らかの形で
    パープル暗号の設計図を入手していたと考えられる)

    43 世界@名無史さん :2007/03/28(水) 19:50:59 0

    パープル暗号は理論上の暗号強度と実際の運用上の暗号強度が全然違うから……。

    45 >>26 :2007/03/28(水) 22:27:47 0

    日本の情報は筒抜けだった。
    交渉の主導権は既にアメリカにあった。
    ルーズベルト大統領
    「ドイツと同時に日本と戦うには少なくともあと3ヶ月ほど準備期間が必要だ。
    暫定協定案を作って時間を稼げ」
    11月20日、解読されているとは知らない野村・来栖両大使は甲案に全く興味を
    示さないハルに乙案を提示
    ハル
    「数日以内に返答する」
    しかし、アメリカに対し支那が猛然と反対。
    11月24日、択捉島単寇湾に日本海軍機動部隊が集結。
    交渉期限切れによるハワイ真珠湾攻撃の命令を待っていた。

    46 世界@名無史さん :2007/03/28(水) 23:14:18 0

    事の始まり・・・

    「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。」

    「皇紀2601年12月8日午前6時、大本営陸海軍統帥部発表!!!!
    帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり!!!!
    帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり!!!!」

                                       平出海軍大佐

    48 >>26 :2007/03/29(木) 12:42:09 0

    その頃ハル国務長官が支那を説得
    「我らにとって大いなる利益は向こう3ヶ月にわたり日本を平和路線に
    縛りつける事だ」

    蒋介石
    「日本軍が息を吹き返せば我が軍はひとたまりもない!再考をお願いする!」

    ハル
    「仕方がない。日本との交渉を更に1日延ばそう」

    しかし11月26日にルーズベルト大統領の元に突然の電報。
    「数十隻の輸送船が台湾沖を移動中!」
    だがこれは、十数隻程度の通常輸送を米軍が過度に報告したものだった。

    49 >>26 :2007/03/29(木) 15:45:07 0

    それを聞いたルーズベルトは激怒。
    ハルは暫定案の提示を中止。
    変わりに、2つの覚え書きを野村・来栖両大使に渡した。
    「ハル・ノート」である。(詳しいことはウィキペディアで)
    そこには日本が渇望した石油輸出再開の文字は無かった。
    11月27日、日本政府がハル・ノートの前文を受け取る。
    今までの交渉を根底から反故にする内容に、閣僚は激昂した。
    開国以来、日本が築き上げてきた政策の全てを、交渉の全てを否定する内容であった。

    尚、これまで書いてきたことは全て下のリンクにあるFLASHを基にしたものです。
    http://www.teiteitah.net/

    52 世界@名無史さん :2007/03/30(金) 12:49:39 0

    Flashにあるなら転載しなくてもいんじゃね?
    転載したいなら纏めてやった方が他人から見てみやすくね?

    55 >>26 :2007/03/30(金) 21:21:33 0

    >>52
    スマソ纏めてやるのが面倒だっただけ。

    51 >>26 :2007/03/30(金) 12:30:49 0

    これを読んだ東郷茂徳大臣は
    「目も暗むばかりの強い失望に打たれた。
     ハル・ノートを受け取ってからは働く熱を失った。
     米側は明らかに平和解決の望みも意思も
     持ってないと感じた。
     之は国家的自殺に等しく、この挑戦に対抗し、
     自らを護る唯一の残された途は戦争であった。」

    ハル・ノートの電文を受け、帝国海軍機動部隊が単寇湾より発進。
    長野修身 軍令部総長
    「米国の主張に屈すれば亡国は必死との事だが、
     戦うもまた亡国であるかも知れぬ。
     だが、戦わずしての亡国は
     魂を喪失する民族永遠の亡国であり、
     最後の一兵まで戦うことによってのみ
     死中に活を見出し得るであろう。
     戦ってよし勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば
     われらの子孫は再起、三起するであろう。」

    56 世界@名無史さん :2007/03/30(金) 23:55:25 0

    >>51
    これを読んだ有田八郎元外務大臣は
    「これなら交渉の余地はあるじゃないか」

    61 >>26 :2007/04/02(月) 17:41:25 0

    11月29日、宮中にて政府と重臣の懇談会。
    開戦決意を諒承。
    12月1日、開戦の廟議 御前会議が開かれ日本は国策案に基づき
    対アメリカ開戦を決定した。
    帝国海軍機動部隊に打電

    ニイタカヤマノボレ1208

    ハワイ作戦が始動した。

    62 世界@名無史さん :2007/04/02(月) 19:05:01 0

    ハルノートは最後通牒じゃなかった(吉田茂)

    63 世界@名無史さん :2007/04/02(月) 22:46:09 0

    ジャワは天国、ビルマは地獄、生きて帰れぬニューギニアってな・・・

    巨万の英霊達はジャングルの奥地で蛆に食われ、野犬に骨を啜られたの
    である。

    64 >>26 :2007/04/03(火) 16:41:01 0

    12月7日
    聯合艦隊司令長官山本五十六大将訓令
    「皇国の興廃、かかってこの聖戦にあり。粉骨砕身、各員その任を全うせよ」
    12月7日、0700(日本時間)
    オアフ島の敵飛行哨戒圏内に突入。
    12月8日、0130(日本時間)
    第1次攻撃隊・上空警戒機、発艦。
    0220(日本時間)
    水上偵察機4機射上発艦。
    0215(日本時間)
    第2次攻撃隊発艦

    第1次攻撃
    総指揮官 赤城飛行隊長、淵田美津夫中佐
    以下、計183機

    0210(日本時間)
    攻撃展開下令
    0219(日本時間)
    「ト・ト・ト(全軍突撃)」
    0222(日本時間)
    「トラ・トラ・トラ(我奇襲ニ成功セリ)」

    66 世界@名無史さん :2007/04/03(火) 22:13:28 0

    見直せば見直すほど別にする必要のない勝ち目のない戦争に突き進んでいった様子がわかるな。
    ドイツと同じで「引き際を見誤って希望的観測で動きすぎた」という根本の失敗があるけど。

    67 世界@名無史さん :2007/04/03(火) 22:35:58 0

    >>66
    具体的にどのあたりの判断が一番まずかったとお思いですか?

    68 世界@名無史さん :2007/04/03(火) 22:44:14 0

    >>67
    遡るならリットン報告書による対日勧告案を蹴ってそのまま国際連盟を脱退したのが最大の失敗。

    69 世界@名無史さん :2007/04/03(火) 22:47:32 0

    逆にいえば満州まで遡らない限り流れを修正できないわけですが、
    国民党は満州における日本の利権を認めていないので、
    遅かれ早かれこの地域を巡って中国との紛争が起こるのは避けがたかったと思いますね。

    70 世界@名無史さん :2007/04/03(火) 22:51:13 0

    >>69
    仏印に進駐しないでしばらくアメリカの機嫌をとるとかすれば随分マシだったと思うけどね。

    で、リットン報告書による勧告案を飲んでればその場合国際社会の敵に回るのは中華民国のほう。
    史実での流れみたいに日本がよってたかってボコボコにされるということはない。

    73 世界@名無史さん :2007/04/05(木) 05:35:04 0

    >>69
    >逆にいえば満州まで遡らない限り流れを修正できないわけですが、

    南京陥落あたりで講和のチャンスもあったのだが。
    講和条件を厳しくしてフイにしたのも日本の判断だろ。

    74 世界@名無史さん :2007/04/05(木) 14:09:53 0

    >>73
    南京で講和したって蒋介石はまた攻撃してくるよ。
    講和して、それを無視して蒋介石が攻撃してきて、
    その繰り返しが当時の戦争だった。

    84 世界@名無史さん :2007/04/06(金) 16:15:54 0

    >>73
    >講和条件を厳しくしてフイにしたのも日本の判断だろ。
    違う。停戦協定は全て向こうから一方的に反故にされ日本人居留民が虐殺されました。
    >>74
    >講和して、それを無視して蒋介石が攻撃してきて、
    それも違うな。当時の中華民国は国共内戦、軍閥割拠、地方政府乱立で蒋介石の中央政府があったわけじゃないし。
    幕府と講和しても、その後ろから長州藩が大砲をぶっ放してくるみたいなもんじゃ。
    ゲリラ、山賊なんでもありだから、講和が講和にならない。

    85 世界@名無史さん :2007/04/06(金) 20:59:34 0

    >>84
    >違う。停戦協定は全て向こうから一方的に反故にされ日本人居留民が虐殺されました。

    停戦中の事件なら、中東や朝鮮でも起きるものだが。
    それを元に開戦通告を出し、華北で占領行為を行ったのが日本。
    その際にデマ等の要因で通州事件を起こしたのは、日本の傀儡(キ東)の保安隊だろ。

    98 世界@名無史さん :2007/04/06(金) 23:15:14 0

    >>85

    >停戦中の事件なら、中東や朝鮮でも起きるものだが。

    停戦中の事件というレベルじゃないし。
    中東や朝鮮なんか持ち出しても一般化できないよ。
    中国共産党は国民党と日本軍を衝突させて共倒れを狙う為に
    停戦を妨害して様々な工作を行ったのだ。
    まったく中国特有の事情があったのだ。
    日本政府は不拡大方針を出して、そうした挑発に乗るなと命令したのだが、
    現場が勝手に暴走したために収拾不能になってしまった。
    中国が一枚岩でなかったように日本も統制が効いていなかったのだ。

    >その際にデマ等の要因で通州事件を起こしたのは、日本の傀儡(キ東)の保安隊だろ。

    冀東防共自治政府は、日本の傀儡というか、日本が強引に作らせた政府だが、
    通州事件は、冀東防共自治政府が起こしたわけではない。
    中国人保安隊が政府に反旗を翻した陰惨極まる事件だ。
    この事件も中国共産党の謀略とする説があるよね。

    128 世界@名無史さん :2007/04/08(日) 16:29:00 0

    >>98
    通州事件は、保安隊の監督府行き届きの責任により冀東防共自治政府が謝罪と賠償を行いました。

    大阪朝日新聞 昭和12年12月23日 
     通州事件愈よ解決
     冀東政府から誠意披露
    【北京特電二十二日発】
    去る七月ニ十九日日支軍衝突と同時に冀東保安隊の反乱によつて発生した通州事件の
    悲惨なる想出は今なほわが国民の脳裡を去りやらぬ痛恨事であるが、冀東政府の
    現政務長官池宗墨氏は事件解決策につき北京大使館当局と種々折衝中のところ
    大体左のごとき解決案を発見、池長官はニ、三日中に北京大使館に森島参事官を訪問、
    冀東政府を代表し正式陳謝をなし犠牲者に対する慰藉金、日本側機関に対する損害賠償など
    合計百二十万円を日本側に交付し、これをもつて同事件の正式解決をはかることに決定した。
    即ち冀東自治政府としては北京の中華民国臨時政府に正式合流をなすに先立ち通州事件の正式解決をいそぎ、
    もつて日本国民に対する慰藉、陳謝の態度を明にしたものである。
    なほ前長官 殷汝耕氏も事件後厳重な取調べを受けつつあつたが間もなく同事件に通謀したる事実なきことも
    明白になりこれまた近く釈放されるものと見られる、また我が同胞の尊き霊を永遠になぐさめるため遭難地通州に
    大供養塔が建設されることになつてゐるが、右基金は冀東政府要路者の心からなる義金によるものである。

    76 >>26 :2007/04/05(木) 16:44:26 0

    第2次攻撃
    総指揮官 瑞鶴飛行隊長 島崎重和少佐
    以下 計167機
    0413(日本時間)
    攻撃展開下令
    0425(日本時間)
    全軍突撃
    0432(日本時間)
    第1次攻撃隊と入れ違いに攻撃開始
    0455(日本時間)
    「我敵カネオヘを爆撃す、効果大〇四五五」
    0500(日本時間)
    「敵防御放火熾烈〇五〇〇」
    (尚、この時間は日本時間なので向こうは早朝だった)

    77 >>26 :2007/04/05(木) 16:53:53 0

    ハワイ作戦結果

    戦艦アリゾナ        完全喪失 戦隊司令長官、艦長戦死
    戦艦ウエスト・バージニア  擱座 艦長戦死
    戦艦オクラホマ       転覆
    戦艦カリフォルニア     擱座

     戦艦 撃沈4 大破1 中破3
    巡洋艦     大破2 中破2
    駆逐艦     大破3 中破2
    その他 撃沈2 大破1

    航空機     248機
    戦死、行方不明 2402名(内一般市民68名)
    戦傷      2382名

    78 >>26 :2007/04/05(木) 17:00:46 0

    日本軍側損害

    第1次攻撃隊
      戦闘機 3機          急降下爆撃機 1機
    水平爆撃機 0機             雷撃機 5機

    第2次攻撃隊
      戦闘機 3機          急降下爆撃機 14機
    水平爆撃機 0機

    喪失 29機    要修理機 122機   戦死搭乗員 55名

    特殊潜航艇5 (戦死9名、捕虜1名)

    79 世界@名無史さん :2007/04/05(木) 17:51:04 0

    ネヴァダも擱座してるよな。自力でだけど

    80 世界@名無史さん :2007/04/05(木) 21:49:24 0

    オレンジ作戦に基づき、米太平洋軍は、フィリピンマニラ湾に集結し、本土後続兵
    力の為の最前線警戒ラインを構築するよう命じられた。
    マッカーサーはマニラ市を放棄し、バターン半島に恒久複合陣地の形成を始め、マ
    ニラ湾の島嶼砲台に湾の閉鎖を指示。
    後にフィリピン島北部に上陸した陸軍が強い抵抗に遭うことになる。

    81 >>26 :2007/04/05(木) 21:53:02 0

    米国の被害は史上最大のものであった。
    しかし石油タンクや工廠等の基地施設は無傷で、
    更に最重要の破壊目標だった航空母艦は折しも
    真珠湾を出港しており全て無傷であった。
    更に真珠湾空襲の30分前に手交するはずだった最後通牒は
    日本大使館の不手際で手間取り(大使館職員が異動するので送別会をしていた)
    野村・来栖両大使がハル国務長官に手交したのは攻撃開始の1時間後だった。
    かくして、
    ハワイ作戦は『だまし討ち』の汚名を着せられルーズベルトは
    この事態を最大限利用した。
    翌日、暗号解読によって開戦を事前に知っていたことを隠し
    国民の前で演説した。
    「ジャップは卑劣で卑怯だ!真珠湾を忘れるな!」
    世に言う「Remember Pearl Harbor」である。





    | 15:26 |

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    コメント
    この記事へのコメント
    隼(キ43)という戦闘機がとても美しいこと。
    硫黄島の気候、トーチカ内は地獄。
    キスカ島からの撤退、陽動作戦の成功。
    2009/10/22(木) 19:16:32 | URL | #-[ 編集]
    40半ばの私ですが、勉強になりました。
    2009/10/22(木) 22:58:40 | URL | 紅雲 #-[ 編集]
    一般市民(男性)にとっては、こんな流れとか関係なくて、
    ただ一方的に徴兵されて地獄を味わっただけなんだろうな。
    2009/10/22(木) 23:03:08 | URL |   #-[ 編集]
    ナチと同盟したのがアウト。
    2009/10/22(木) 23:38:37 | URL | #-[ 編集]
    「海上護衛戦」
    マジオススメ
    2009/10/23(金) 09:06:09 | URL | VIPPERな名無しさん #-[ 編集]
    第二次世界大戦の話になると決まり文句のように軍部の暴走うんぬんって言われるが
    開戦前の当時情勢を追っていくと必ずしもそうとは言いきれないよな。
    2009/10/23(金) 09:38:16 | URL | #-[ 編集]
    寂しがり屋さん
    友達の前では少し強がって彼氏なんかいらないって言ってしまうけど、やっぱ本音では欲しいです、夜は寒いし寂しいし私の本音に気付いてください。メアド乗せておくので優しい方連絡くださいtoward.the-future@docomo.ne.jp
    2009/10/23(金) 15:33:07 | URL | るい #dXGvgaiE[ 編集]
    ※6
    暴走していたのは軍部だけではなかったってことだな
    マスコミは国民を焚きつけ、国民は軍部を焚きつけた
    2009/10/23(金) 20:08:23 | URL | #-[ 編集]
    「ハルは何故ハルノートに暫定協定案を添えなかったのか?」

    これって日米交渉のキモにして最大の謎じゃね?
    スチムソンもルーズベルトもハルも、関係した人全員
    バラバラな証言してる。

    ま、あの程度の暫定協定案で機動艦隊を戻したかどうかは疑わしいってのもあるけど。
    2009/10/23(金) 21:52:50 | URL | VIPPERな名無しさん #-[ 編集]
    ナチスの虐殺も証拠が全くないんだよね

    写真とかも「別のもの」ばかりだし、人骨も出ない
    最新の科学技術で地質調査しても「人骨の灰の粒子」も出ない

    日本軍の虐殺も同じ「証拠」といわれてるものを調べれば調べるほど
    日本軍の潔白が証明されているという事実

    日本のマスコミは伝えないけどね
    2009/10/23(金) 22:24:51 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
    個人的に秀逸だと思う本は

    「真珠湾への道  大杉一雄」かな。

    アメリカ側の動向もきめ細かく書かれてる
    2009/10/23(金) 22:43:07 | URL | VIPPERな名無しさん #-[ 編集]
    ※3
    一般市民に選ばれた政府だよ。
    同じ地獄を見るならクーデターを起こせば良かった。

    だからどうだとは言えないけど、情報の重要性がよくわかる話だよね。
    2009/10/25(日) 11:24:30 | URL | #-[ 編集]
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