2009年08月21日 (金) | Edit |
1 天之御名無主 :2001/06/18(月) 13:57
日本以外にも神経質な民族はいるんですか?
3 6月10日生まれ :2001/06/21(木) 10:42おもろいネタですね。
ちょっと整理しますと、
1・日本人はいつから時間にうるさくなったのか?
ふつうに考えたら時計が登場した近代以降であるはずですが、もしそうであるとするなら、
2・どうして近代以降も時間にルーズな国とそうでない国があるのか?
これを考えるためにもおっしゃるように国ごとの事例が必要でしょうね。
私の経験の範囲では、フィリピン、マレーシア、台湾といった東南アジア諸国では、日本に比べたら時間に寛容な気がする。一般に町よりも田舎の方が時間にルーズ。いくらルーズな国でも、例えば飛行機の特に国際線などはやっぱりきちっとしてるし、それに比べたら国内線の閑線やバスなんかはルーズな傾向がある。たぶんそれぞれのお国事情が一番はっきりするのは、個人的な待ち合わせの場合なんじゃないかな。
アメリカや韓国なんかはわりときっちりしてるんじゃないかというイメージがありますけど、どうなんでしょう?
7 うろぼろす :2001/06/23(土) 01:09ちょっと整理しますと、
1・日本人はいつから時間にうるさくなったのか?
ふつうに考えたら時計が登場した近代以降であるはずですが、もしそうであるとするなら、
2・どうして近代以降も時間にルーズな国とそうでない国があるのか?
これを考えるためにもおっしゃるように国ごとの事例が必要でしょうね。
私の経験の範囲では、フィリピン、マレーシア、台湾といった東南アジア諸国では、日本に比べたら時間に寛容な気がする。一般に町よりも田舎の方が時間にルーズ。いくらルーズな国でも、例えば飛行機の特に国際線などはやっぱりきちっとしてるし、それに比べたら国内線の閑線やバスなんかはルーズな傾向がある。たぶんそれぞれのお国事情が一番はっきりするのは、個人的な待ち合わせの場合なんじゃないかな。
アメリカや韓国なんかはわりときっちりしてるんじゃないかというイメージがありますけど、どうなんでしょう?
>3(6月10日生まれさん)
たしか、宮本常一の『忘れられた日本人』に収められている「文字を持つ伝承者
(1)」のなかで、文字を知らない人々は時間の観念に乏しいが、文字を知ってい
る人間はよく時計を見てどこか時間に縛られた生活をしているという興味深い指摘
がありました。
ちなみに、オングの『声の文化と文字の文化』(藤原書店)でも、似たような指摘が
ありました。
でも、これでは時間に対する意識の地域差はあまり説明できませんね(苦笑)。
以前、地元の公文書館で、戦前の県知事への引継書類の複製本をたまたま読んで、
そのなかにある厚生関係の文書のなかに、沖縄の人は時間にルーズなのは問題でこ
れは時計の普及率と関係があるのではないかということで、首里・那覇で時計の普
及度を調査した資料がありました。
家でも個人でも時計が普及した現在でも、あいかわらず沖縄は時間にはルーズです
けど(オレモナー)。
たしか、宮本常一の『忘れられた日本人』に収められている「文字を持つ伝承者
(1)」のなかで、文字を知らない人々は時間の観念に乏しいが、文字を知ってい
る人間はよく時計を見てどこか時間に縛られた生活をしているという興味深い指摘
がありました。
ちなみに、オングの『声の文化と文字の文化』(藤原書店)でも、似たような指摘が
ありました。
でも、これでは時間に対する意識の地域差はあまり説明できませんね(苦笑)。
以前、地元の公文書館で、戦前の県知事への引継書類の複製本をたまたま読んで、
そのなかにある厚生関係の文書のなかに、沖縄の人は時間にルーズなのは問題でこ
れは時計の普及率と関係があるのではないかということで、首里・那覇で時計の普
及度を調査した資料がありました。
家でも個人でも時計が普及した現在でも、あいかわらず沖縄は時間にはルーズです
けど(オレモナー)。
10 6月10日生まれ :2001/06/23(土) 23:07
>>7(うろぼろすさん)
そうかそうか、「忘れられた日本人」にその記述、ありましたねぇ。私も感激しながら読みましたが、ずいぶん前のことですし忘れていました。
私は東南アジアのとある先住民族の方と現地で接触をもった経験がありますが、文字を持たない文化に育ち、今でも文盲の人が多い彼らは、確かに時間にはルーズなところがありました。じゃあ文字を持つ他の民族と比べてどうか、あるいは同じ民族で文字が読める人と読めない人ではどうか、ってのが検証できるほどの経験はないのですが。
でも、江戸時代あたりから、日本人は身分にとらわれず農民でも文字文化に接する機会の多い珍しい文化を持っていた、て認識がありますよね。宮本さんの本のなかにも、地方の片田舎でも一部に文字を知り、外界の情報に敏感な人がいて、そういった人たちがムラに新たな文化を持ち込む役割を果たしていたとか。
片やヨーロッパあたりでは、そういった文字文化が一部の特権階級に限定されていたといわれるのに比べると、日本は地方の津々浦々まで文字に限らず新しい文化が急速に広まりやすかっただろう。実際、近代以降に急速に学校教育、文字文化が普及したわけですし、時間感覚もそれに付随するようにして幅広く一様に広まったって推測できるかもしれないなぁ。ヨーロッパでは必ずしもそうはいかず、農村部などでは従来の伝統や生活習慣が根強く残りやすかったのかも。
8 名無しさん脚 :2001/06/23(土) 02:36そうかそうか、「忘れられた日本人」にその記述、ありましたねぇ。私も感激しながら読みましたが、ずいぶん前のことですし忘れていました。
私は東南アジアのとある先住民族の方と現地で接触をもった経験がありますが、文字を持たない文化に育ち、今でも文盲の人が多い彼らは、確かに時間にはルーズなところがありました。じゃあ文字を持つ他の民族と比べてどうか、あるいは同じ民族で文字が読める人と読めない人ではどうか、ってのが検証できるほどの経験はないのですが。
でも、江戸時代あたりから、日本人は身分にとらわれず農民でも文字文化に接する機会の多い珍しい文化を持っていた、て認識がありますよね。宮本さんの本のなかにも、地方の片田舎でも一部に文字を知り、外界の情報に敏感な人がいて、そういった人たちがムラに新たな文化を持ち込む役割を果たしていたとか。
片やヨーロッパあたりでは、そういった文字文化が一部の特権階級に限定されていたといわれるのに比べると、日本は地方の津々浦々まで文字に限らず新しい文化が急速に広まりやすかっただろう。実際、近代以降に急速に学校教育、文字文化が普及したわけですし、時間感覚もそれに付随するようにして幅広く一様に広まったって推測できるかもしれないなぁ。ヨーロッパでは必ずしもそうはいかず、農村部などでは従来の伝統や生活習慣が根強く残りやすかったのかも。
「日本人が時間に厳しい」というのは、つまり、社会的な
ものと、国民性という二点に絞られるのではないか、と思
うのだけど。ラテン系民族みたいに「シエスタ」がある訳
ではなし、「半ドン」という言葉に示されている通り、
時報によって支配されていたという明治期もあり。
「一時」が2時間だった江戸期には、時間に対してもっと
ルーズだったかも知れませんね。また、今でも、「XX時間」
というように、地方によって待ち合わせなどの許容範囲は
変わるし。東京などは、厳しいですね。大阪は知らないけど、
都市部だと、厳しそう。で、田舎だと、緩そうな気がするな。
これは偏見じゃなくて、あくまで「実用的」な意味で。
まあ、今では都市と地方の差というのは微妙ですが、「何か
から縛られている度合い」と、「時間に対する意識」とは
等価だと思いますから。
兜町の人たちなんて、それこそ、時間にはシビアなんだろうな。
11 6月10日生まれ :2001/06/23(土) 23:19ものと、国民性という二点に絞られるのではないか、と思
うのだけど。ラテン系民族みたいに「シエスタ」がある訳
ではなし、「半ドン」という言葉に示されている通り、
時報によって支配されていたという明治期もあり。
「一時」が2時間だった江戸期には、時間に対してもっと
ルーズだったかも知れませんね。また、今でも、「XX時間」
というように、地方によって待ち合わせなどの許容範囲は
変わるし。東京などは、厳しいですね。大阪は知らないけど、
都市部だと、厳しそう。で、田舎だと、緩そうな気がするな。
これは偏見じゃなくて、あくまで「実用的」な意味で。
まあ、今では都市と地方の差というのは微妙ですが、「何か
から縛られている度合い」と、「時間に対する意識」とは
等価だと思いますから。
兜町の人たちなんて、それこそ、時間にはシビアなんだろうな。
ところでオランダに留学した知人が、かの地では企業、大学などで終業時間が実にきっちり決まっていると申しておりました。例えば5時終業だったら、その時間には一斉にみんな帰り支度を始め、誰もいなくなってしまうと。居残りしようにも、用務員が鍵を閉めてしまうので、居残りようがないと。
それは東南アジアのとある国の官公庁でも全く一緒でした。ちょっと居残ったら、中に閉じこめられて困ったとかいう話も聞いたことがあります。
・・・その点から考えると、日本人ってものすごく時間にルーズですねぇ!!
18 天之御名無主 :2001/06/26(火) 08:51それは東南アジアのとある国の官公庁でも全く一緒でした。ちょっと居残ったら、中に閉じこめられて困ったとかいう話も聞いたことがあります。
・・・その点から考えると、日本人ってものすごく時間にルーズですねぇ!!
>>11 職員が帰りたい、また企業の場合は
雇い主が残業手当を払いたくないからでしょう。
12 天之御名無主 :2001/06/24(日) 14:07雇い主が残業手当を払いたくないからでしょう。
明治以降の富国強兵政策と密接な関わりが有ると思います。
要は、軍隊の規律を持ち込んだ、と。
戦前に石垣地方に石垣時刻というのが存在したそうですが、
これは国家総動員時代に廃止され、中央標準時に統一されました。
「時間」というのが、中央集権下での国家統制には重要な役割を
はたします。
13 6月10日生まれ :2001/06/25(月) 02:40要は、軍隊の規律を持ち込んだ、と。
戦前に石垣地方に石垣時刻というのが存在したそうですが、
これは国家総動員時代に廃止され、中央標準時に統一されました。
「時間」というのが、中央集権下での国家統制には重要な役割を
はたします。
組織だって効率的に行動することが必要なときに「時間」が役に立つってことか。なるほど。
今の学校制度では、始業時間にちゃんとみんなが教室に集まらないと効率的じゃない。
昔の寺子屋なんかどんな感じだったんだろう?
だいたい「なんどき」に集まるかだけ決めてあって、みんな揃うまでだらだら雑談してたのかな。
14 6月10日生まれ :2001/06/25(月) 02:42今の学校制度では、始業時間にちゃんとみんなが教室に集まらないと効率的じゃない。
昔の寺子屋なんかどんな感じだったんだろう?
だいたい「なんどき」に集まるかだけ決めてあって、みんな揃うまでだらだら雑談してたのかな。
組織だって効率的に行動することが必要なときに「時間」が役に立つってことか。なるほど。
今の学校制度では、始業時間にちゃんとみんなが教室に集まらないと効率的じゃない。
昔の寺子屋なんかどんな感じだったんだろう?
だいたい「なんどき」に集まるかだけ決めてあって、みんな揃うまでだらだら雑談してたのかな。
15 つづき :2001/06/25(月) 02:43今の学校制度では、始業時間にちゃんとみんなが教室に集まらないと効率的じゃない。
昔の寺子屋なんかどんな感じだったんだろう?
だいたい「なんどき」に集まるかだけ決めてあって、みんな揃うまでだらだら雑談してたのかな。
学校に遅刻することって、本人にとってデメリットではあるけど、
他の人にはたいしてマイナスはない。
(大半が集まらないと始められないのはもちろんだが)
でも遅刻しないことが求められるような圧力がかかる。少なくとも日本では。
時間に寛容な国では、そういう圧力はかからないのだろうか。
22 名無さん :2001/06/28(木) 03:06他の人にはたいしてマイナスはない。
(大半が集まらないと始められないのはもちろんだが)
でも遅刻しないことが求められるような圧力がかかる。少なくとも日本では。
時間に寛容な国では、そういう圧力はかからないのだろうか。
>>15
遅刻した本人以外の人にとって、
授業開始が遅くなればその分、終了も遅くなる。
十分マイナスだと思うぞ。他人に迷惑をかける行為は
時間に関わらずひんしゅくだと思います。
もっともみんながみんな遅ければお互い様ってことに
なるかもしれないけど。
19 天之御名無主 :2001/06/26(火) 09:35遅刻した本人以外の人にとって、
授業開始が遅くなればその分、終了も遅くなる。
十分マイナスだと思うぞ。他人に迷惑をかける行為は
時間に関わらずひんしゅくだと思います。
もっともみんながみんな遅ければお互い様ってことに
なるかもしれないけど。
明治以降との結論が出かけているが、ソレは違うぞ。昔、天智天皇の
時だったか、漏刻(水時計)を作ったが、これは役人の勤務管理の為
ときいた。江戸時代でも勤務時間はきっちり管理されていたと聞く。
一般に時計の無いときでも、お寺の鐘や登城の為の太鼓の合図があった
事をお忘れ無く。
21 天之御名無主 :2001/06/28(木) 02:13時だったか、漏刻(水時計)を作ったが、これは役人の勤務管理の為
ときいた。江戸時代でも勤務時間はきっちり管理されていたと聞く。
一般に時計の無いときでも、お寺の鐘や登城の為の太鼓の合図があった
事をお忘れ無く。
>>19
外国にも教会の鐘や似たようなものは沢山あるとは思うが、
みんな日本人みたいにならないのは何故?
20 日本@名無史さん :2001/06/26(火) 15:53外国にも教会の鐘や似たようなものは沢山あるとは思うが、
みんな日本人みたいにならないのは何故?
日本人が時間に神経質というのは、あながち間違いではないだろう。
が、資本主義の発達が、時間単位の賃金という考え方を世界に広げている。
高度な資本主義社会に働く者は、時間を無意識に賃金換算して思考する癖がある。
これが、時間の運用に対する厳密さを要求する根拠となっている。
25 もしも・・・は意味が無いけれど :2001/06/28(木) 14:55が、資本主義の発達が、時間単位の賃金という考え方を世界に広げている。
高度な資本主義社会に働く者は、時間を無意識に賃金換算して思考する癖がある。
これが、時間の運用に対する厳密さを要求する根拠となっている。
もしも、聖書に「時間厳守」「遅刻厳禁」って書いてあったら
あっちの連中の時間感覚はどうなったんだろう・・・
26 名無史さん :2001/06/28(木) 17:33あっちの連中の時間感覚はどうなったんだろう・・・
海外での生活体験無しに、議論するのはやめれ。
比較する根拠なしに、なにを議論するのじゃ???
27 天之御名無主 :2001/07/02(月) 07:01比較する根拠なしに、なにを議論するのじゃ???
>26
馬鹿もの、経験しなけりゃ議論できない?それじゃ何事も
議論できまい。
28 天之御名無主 :2001/07/02(月) 07:26馬鹿もの、経験しなけりゃ議論できない?それじゃ何事も
議論できまい。
>>27
はげしく同意。
だが、イメージだけでものを言うやからが多いね。
32 天之御名無主 :2001/07/03(火) 01:05はげしく同意。
だが、イメージだけでものを言うやからが多いね。
紀伊国屋で待ち合わせをした。電話で「じゃ30分後に」
・・・・・・・・こない。
3時間後に現れて、「ちょっと風呂に入ってたから」
待ってる俺も俺だが、3時間遅れて平気で来る方も来る方だ。
お互い日本人。日本人も色々だねぇ。
35 天之御名無主 :2001/07/05(木) 08:40・・・・・・・・こない。
3時間後に現れて、「ちょっと風呂に入ってたから」
待ってる俺も俺だが、3時間遅れて平気で来る方も来る方だ。
お互い日本人。日本人も色々だねぇ。
ドイツは時間に正確だと聞いたことがある。
少なくとも公共機関は大分正確だと。
日本の電車も正確だって言うけど私鉄は案外いい加減。
36 天之御名無主 :2001/07/06(金) 18:24少なくとも公共機関は大分正確だと。
日本の電車も正確だって言うけど私鉄は案外いい加減。
日本の列車の時刻が正確なのは、初期の線路が全て単線だったせい。
さらに当時は鉄道以外の交通機関が発達してなかったから、
鉄道のダイヤに合わせて、一日の生活のリズムを調整する習慣が生まれた。
昔は1日に何本も列車が走ってなかったから、
どの家にも時計が置かれ、出勤や通学時は皆、汽車に乗り遅れないように必死だった。
37 天之御名無主 :2001/07/07(土) 05:11さらに当時は鉄道以外の交通機関が発達してなかったから、
鉄道のダイヤに合わせて、一日の生活のリズムを調整する習慣が生まれた。
昔は1日に何本も列車が走ってなかったから、
どの家にも時計が置かれ、出勤や通学時は皆、汽車に乗り遅れないように必死だった。
それはおかしい、初期に単線だったのが日本だけ?
ダイヤに合わせて生活リズムの調整?出勤や通学は昔から汽車に
乗ったのか?
38 天之御名無主 :2001/07/07(土) 11:18ダイヤに合わせて生活リズムの調整?出勤や通学は昔から汽車に
乗ったのか?
>>37
もっと地理を勉強すべし。
日本の国土は細く、狭く、人口分布は河川や海岸線に沿って線状に並んでいるので
一本の線状の交通機関があれば十分間に合い、大陸に比べて鉄道文明に適している。
その反面、山勝ちな地形は鉄道用地には向かない。
だから明治100年を通して、鉄道は自動車などよりよっぽど重宝されたし、
庶民の生活に十分定着した後でも、路線の単線傾向は変わらなかった。
41 天之御名無主 :2001/07/07(土) 12:38もっと地理を勉強すべし。
日本の国土は細く、狭く、人口分布は河川や海岸線に沿って線状に並んでいるので
一本の線状の交通機関があれば十分間に合い、大陸に比べて鉄道文明に適している。
その反面、山勝ちな地形は鉄道用地には向かない。
だから明治100年を通して、鉄道は自動車などよりよっぽど重宝されたし、
庶民の生活に十分定着した後でも、路線の単線傾向は変わらなかった。
>>37
ダイヤに合わせて調整って部分はあるかも知れない。
ただ、ダイヤに合わせて時間に神経質になったわけではないと思う。
もともと“午の刻”とか、半鐘ならしたりしてたワケだし、元々時間に対する価値観が諸外国とは違ったのでしょう。
そして明治に東欧プロシアを手本にして、さらに時間に几帳面になったと。
>>35も言ってるとおり、ドイツの列車は時間に正確らしいですから。
40 天之御名無主 :2001/07/07(土) 12:33ダイヤに合わせて調整って部分はあるかも知れない。
ただ、ダイヤに合わせて時間に神経質になったわけではないと思う。
もともと“午の刻”とか、半鐘ならしたりしてたワケだし、元々時間に対する価値観が諸外国とは違ったのでしょう。
そして明治に東欧プロシアを手本にして、さらに時間に几帳面になったと。
>>35も言ってるとおり、ドイツの列車は時間に正確らしいですから。
ホントにおかしいよ、大体米国の大陸横断鉄道も殆ど単線であった
と聞いている、それは多分現在でも変わらないと思う、そして大幅
な遅れは日常茶飯事なことであった。
単線だから定時というのは誤りです、欧州の事情はどうだろう全線
複線と云うことも無いと思うが・・・・。
42 天之御名無主 :2001/07/07(土) 15:37と聞いている、それは多分現在でも変わらないと思う、そして大幅
な遅れは日常茶飯事なことであった。
単線だから定時というのは誤りです、欧州の事情はどうだろう全線
複線と云うことも無いと思うが・・・・。
>>40
>そして大幅な遅れは日常茶飯事なことであった。
だから単線で発着がいい加減だとこうなっちゃうんだよ。
米国とちがって一時期の日本は、
鉄道がなきゃあ何処へもいけないというような状態だったから、大幅な遅れは致命的。
だから線路が単線だったことも定刻主義の一因としては正しい。
単線の鉄道を円滑に運営する為には、時間を厳守する必要があるのは分かるでしょ?
43 天之御名無主 :2001/07/07(土) 15:39>そして大幅な遅れは日常茶飯事なことであった。
だから単線で発着がいい加減だとこうなっちゃうんだよ。
米国とちがって一時期の日本は、
鉄道がなきゃあ何処へもいけないというような状態だったから、大幅な遅れは致命的。
だから線路が単線だったことも定刻主義の一因としては正しい。
単線の鉄道を円滑に運営する為には、時間を厳守する必要があるのは分かるでしょ?
中央線の時刻は乱れっぱなしだがな。
特に朝。
44 天之御名無主 :2001/07/07(土) 15:44特に朝。
>>43
それはJR社員の責任じゃないんじゃ・・・
69 天之御名無主 :2001/07/08(日) 14:34それはJR社員の責任じゃないんじゃ・・・
日本人が時間に五月蝿くなったのは、ごく最近の事のような気もするけどな。
高度成長期の企業戦士達の影響で。
田舎者がちんたら歩くというは本当だよ。
79 天之御名無主 :2001/07/08(日) 21:35高度成長期の企業戦士達の影響で。
田舎者がちんたら歩くというは本当だよ。
>>69
日本人は戦前から既に会社や鉄道等の時間には五月蝿かったよ。
何故五月蝿くなったのかというと、やっぱり鉄道の影響が大きいと思うけどね。
交通機関が社会・文化に与える影響は馬鹿にできない。
人や物資の大量輸送手段としての鉄道が無かったとしたら
近代日本における会社、工場経営なんかは成り立たないからね。
110 天之御名無主 :02/12/25(水) 18:58日本人は戦前から既に会社や鉄道等の時間には五月蝿かったよ。
何故五月蝿くなったのかというと、やっぱり鉄道の影響が大きいと思うけどね。
交通機関が社会・文化に与える影響は馬鹿にできない。
人や物資の大量輸送手段としての鉄道が無かったとしたら
近代日本における会社、工場経営なんかは成り立たないからね。
確か砂漠地帯で時間がルーズな国は努力そのものの価値が低いからだよな
「明日出来ることは今日するな」かなんか言う感じの言葉あったよな
121 天之御名無主 :03/08/09(土) 09:42「明日出来ることは今日するな」かなんか言う感じの言葉あったよな
>>110
>努力そのものの価値が低いからだよな...
そもそも努力や勤勉を尊ぶ道徳は、温帯地域の農耕民族の地域限定のもので
人類普遍のもではないからね。
118 天之御名無主 :03/05/03(土) 12:20>努力そのものの価値が低いからだよな...
そもそも努力や勤勉を尊ぶ道徳は、温帯地域の農耕民族の地域限定のもので
人類普遍のもではないからね。
昔のライダーカードに
ゲルショッカーの掟
ってのがあったのだが
裏切り者は殺すとかのなかに
遅刻したものは殺すというのがあって
ハゲシクワラタ
130 天之御名無主 :04/06/29(火) 23:39ゲルショッカーの掟
ってのがあったのだが
裏切り者は殺すとかのなかに
遅刻したものは殺すというのがあって
ハゲシクワラタ
奈良時代の官吏が遅刻したために、その日の仕事ができずに俸給(現物支給だった?)がもらえなかったという記録が残ってる。
だから、上層階級が時間にシビアだったのは、かなり古くからの伝統だったんだろうね。
江戸時代になると町娘の日記の中に、頻繁に時間が書かれているので、町人の中にも時間の概念が浸透していたのだろう。
しかし、町娘が日記を残したというだけでも驚きだ。日本の文化水準って、高かったんだなぁ。
131 天之御名無主 :04/06/30(水) 03:59だから、上層階級が時間にシビアだったのは、かなり古くからの伝統だったんだろうね。
江戸時代になると町娘の日記の中に、頻繁に時間が書かれているので、町人の中にも時間の概念が浸透していたのだろう。
しかし、町娘が日記を残したというだけでも驚きだ。日本の文化水準って、高かったんだなぁ。
数分の遅れでもいちいち文句言うからだろう。
寛容を忘れた人間が多いということだろうね。
148 天之御名無主 :2007/01/08(月) 17:04:24寛容を忘れた人間が多いということだろうね。
他者との関連性が問題じゃないかな。
他人に迷惑をかけないため、礼儀として、他人との約束の時間を守る。
時刻は共有していて他人にも見えているからね。そういう文化なんだと思う。
時間の使い方も礼儀のひとつなのかな?
ただ、時刻で動くという概念自体は
英国での産業革命以後に生まれたものだし、
日本でも厳格になったのは明治時代からだろうね。
この説の根拠は、、、別に無いです
151 天之御名無主 :2007/02/04(日) 17:35:00他人に迷惑をかけないため、礼儀として、他人との約束の時間を守る。
時刻は共有していて他人にも見えているからね。そういう文化なんだと思う。
時間の使い方も礼儀のひとつなのかな?
ただ、時刻で動くという概念自体は
英国での産業革命以後に生まれたものだし、
日本でも厳格になったのは明治時代からだろうね。
この説の根拠は、、、別に無いです
『日本人はいつから「せっかち」になったか』 (織田一朗)
セカセカは国民性? 昼夜を分けていただけの時代から、一万分の一秒を正確に測定できる現代まで、
豊富なエピソードで読む「時間感覚」の日本史。
この本って面白い?
154 天之御名無主 :2007/10/24(水) 02:34:51セカセカは国民性? 昼夜を分けていただけの時代から、一万分の一秒を正確に測定できる現代まで、
豊富なエピソードで読む「時間感覚」の日本史。
この本って面白い?
>>151
橋本毅彦・栗山茂久編著『遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成』
三元社 (2001-08-25出版)
いつから時計が気になるようになったのか。
明治6年1月1日をもって、日本は太陽暦、定時法の社会へと転換した。
鉄道、工場、学校における時間規律の導入はいかにして行なわれ、そして、人々の生活をどのように変えていったのか。
現在に至るまでの、時間意識の変遷をたどる。
153 天之御名無主 :2007/10/08(月) 23:36:28橋本毅彦・栗山茂久編著『遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成』
三元社 (2001-08-25出版)
いつから時計が気になるようになったのか。
明治6年1月1日をもって、日本は太陽暦、定時法の社会へと転換した。
鉄道、工場、学校における時間規律の導入はいかにして行なわれ、そして、人々の生活をどのように変えていったのか。
現在に至るまでの、時間意識の変遷をたどる。
日本だぜ、日の本だぜ、
朝廷ってのは日の出と同時に働きだすから朝廷って言うんだよ。
それと昔の人の生活は目覚ましなしでも日出と同時に起きれるようになれるみたいですよ。
時間にだけ厳しいのじゃないよ、法を守る精神、盗みや怠け心にも厳しいかったんだよ、
お前らはそんな事も忘れたのかい?
日本の美術、製鉄、繊維、建築土木もすべてに優れてるるのは厳しい精神の上に成り立ったのさ、
155 天之御名無主 :2007/11/03(土) 08:29:19朝廷ってのは日の出と同時に働きだすから朝廷って言うんだよ。
それと昔の人の生活は目覚ましなしでも日出と同時に起きれるようになれるみたいですよ。
時間にだけ厳しいのじゃないよ、法を守る精神、盗みや怠け心にも厳しいかったんだよ、
お前らはそんな事も忘れたのかい?
日本の美術、製鉄、繊維、建築土木もすべてに優れてるるのは厳しい精神の上に成り立ったのさ、
まあ時間と品質、約束に神経質なのが、
今日の繁栄を築いたわけで。
南米かどっかにハポネスたら言う単語があって、
日本人から転じて、働き者、信用できるシトって意味だとか。
信用できない無精者のわたしは、ハポネスではないなぁ。
今日の繁栄を築いたわけで。
南米かどっかにハポネスたら言う単語があって、
日本人から転じて、働き者、信用できるシトって意味だとか。
信用できない無精者のわたしは、ハポネスではないなぁ。
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