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2009年08月04日 (火) | Edit |
  • 編集元:戦国時代板より「戦国ちょっといい話

    1 人間七七四年 :2007/02/23(金) 22:33:24 ID:OA17Uaqt

    戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

    2 人間七七四年 :2007/02/23(金) 22:39:51 ID:h1u8d7l0

    お前たぶん負けるから絶対喧嘩売るなよ! 一応兵糧やらの関係で邪魔にならない程度の兵を送ってやるから
    そんな忠告を無視し無謀にも3倍の兵力に喧嘩を売りボロ負けして奮戦したものの武将1人死んで壊滅状態で帰ってきた自分の軍
    普通はここでブチ切れるか見捨てるかなのに何も言わず更にはそいつがピンチに陥った時に大軍を率いて駆けつける・・

    信長マジいい奴じゃん

    8 人間七七四年 :2007/02/26(月) 01:22:06 ID:HNOYswQm

    真偽は定かではないが、上杉謙信と平井城主・千葉采女の娘の話はちょっと可哀想だなと思った。

    9 人間七七四年 :2007/02/27(火) 09:20:20 ID:cYHNmDA6

    8
    どんなの?


  • 10 人間七七四年 :2007/02/27(火) 11:15:54 ID:MbAiNPua

    >>9
    上杉謙信が関東へ遠征を行った際、上野平井城主千葉采女が降伏し、娘の伊勢姫を人質として送ってきた。
    謙信は伊勢姫を目にした瞬間に心を奪われ閨房に入れようとした。伊勢姫も何かと気にかけてくれる謙信に惹かれていた。
    だが重臣柿崎景家に「降将の娘を娶るのは傾国の元である」と諫められ、謙信は思いとどまった。謙信のもとに嫁ぐのは叶わぬ思いであると悟った伊勢姫は落胆し、青龍寺に入って剃髪しまもなく世を去ってしまう(一説には自害)。
    これを知った謙信は深く悲しみ、生涯不犯の思いをより強くしたという。


    何度も言うが真偽は定かではありません。

    12 人間七七四年 :2007/02/27(火) 13:29:28 ID:MbAiNPua

    他に何かある?
    大谷吉継の鼻水話?

    13 人間七七四年 :2007/02/27(火) 15:02:56 ID:GgaN+b7M

    信長が平手政秀を馬鹿にされたことに激怒した話とか

    18 人間七七四年 :2007/02/28(水) 23:53:20 ID:PobDX/OW

    >>13
    kwsk

    20 人間七七四年 :2007/03/01(木) 11:48:03 ID:XHQnjNAb

    >>18

     これは近畿を平定し、信長の勢力が日に日に盛んになっていった頃のことである。

     近臣たちがへつらって「このように強大になるとも知らずに平手政秀が自害した(政秀は若い時の信長の素行
    を改めさせようと諫死した)のは短慮でした」というと、信長は顔色を変えて怒り、「わしがこのように弓矢を執れ
    るのは、みな政秀が諫死したことのおかげである。自分の恥を悔やんで過ちを改めたからこそだ。古今に
    比類ない政秀を、短慮だというおまえたちの気持ちがこの上なく口惜しい」と言った。

     信長は事あるごとに政秀を思い出し、鷹狩りや河狩りに出たときなどは、鷹が捕った鳥を引き裂いては、その
    一片を「政秀、これを食べろ」と言って空に向かって投げ、涙を浮かべたことが度々あったという。

    115 人間七七四年 :2008/02/07(木) 18:32:25 ID:VLBPkDDt

    >>20遅まきながらそのエピソード出どころ確認しました ちゃんとした資料なんだな
    他にも死んだ平手の事をなじった家来を強く叱責する話もありますね
    平手政秀の息子(孫?)を家康へ援軍として送り討ち死にさせてしまった信長の無念が聞こえてくるようです

    14 人間七七四年 :2007/02/27(火) 18:01:36 ID:dctY35Ay

    里見義弘が女を取り戻す為に北条に攻め込んだって話を聞いたことがある。

    15 人間七七四年 :2007/02/28(水) 23:33:11 ID:i+CRI3+R

    >>14
    そりゃギリシャでも有名な話だな。
    10年たっても里見は小田原城を落とせず北条に勝てないでいた。
    そこで巨大な木馬を小田原城の近くにおいて船で撤収。
    北条軍は木馬についていた札を見て里見は撤退したんだと思い木馬を城内に入れてしまった。
    勝利の宴が終わった真夜中に木馬から里見軍が行動を開始。
    姫を救いだし、見張りを殺して近くに隠れてた里見の水軍を呼んで小田原は火の海とかした。

    17 人間七七四年 :2007/02/28(水) 23:52:06 ID:bCEgIDWq

    >>14
    足利義明の娘、鎌倉尼五山の一位太平寺住持・青岳尼のことだろ。

    実際は青岳尼を奪うためだけに鎌倉に上陸したわけではないようだ。
    戦国恋愛物語として脚色されてるきらいはある。
    詳細は(有隣新書「太平寺滅亡」三山進)でも読んでくれ。

    27 人間七七四年 :2007/03/03(土) 13:09:33 ID:P7Zs6lZZ

    関が原敗戦で生け捕りされた石田三成。

    「すまぬが湯をくれぬか、喉が渇いた」
    「石田、これを飲め」
    「おお大谷、かたじけない」

    31 人間七七四年 :2007/03/04(日) 13:20:54 ID:VT1/aFd8

    >>27
    ちょwwwwww

    34 人間七七四年 :2007/03/04(日) 23:46:52 ID:xewO2Meq

    無類の強さを誇った島津義弘も
    晩年は老いに勝てず、1人で起き上がり飯も喰えぬ有様だったという。
    そこへ家臣の1人が「殿、戦で御座る!!」と告げると
    城外で一斉に兵たちのトキの声が聴こえてきた

    すると、今まで寝込んで起き上がれずにいた義弘の目がクワッと見開き
    1人で起き上がり飯をたらふく喰らったという。

    勿論、戦というのは、義弘を奮い立たせようとした家臣たちの嘘だった訳だが
    老いても戦と聴くだけで奮い立った義弘の凄まじさが垣間見える逸話だね

    37 人間七七四年 :2007/03/05(月) 02:33:44 ID:kkU1I50N

    >>34
    粋な家臣達だなぁ・・・

    102 人間七七四年 :2008/01/04(金) 00:46:13 ID:kdHssbqW

    >>34
    これ凄い好き。

    「義弘晩年の平和な一日」

    みたいな内容で、三谷幸喜さんに脚本書いて欲しい。

    35 人間七七四年 :2007/03/04(日) 23:56:14 ID:A0ndiNtv

    小田原で秀吉と利家がマジ喧嘩
    それ見て政宗がドン引き

    36 人間七七四年 :2007/03/05(月) 00:06:30 ID:mVrxP8Ch

    政宗がドン引きってどんな喧嘩したんだろう

    39 人間七七四年 :2007/03/05(月) 19:19:55 ID:YoQFh5Tn

    >>36
    江守さんと中尾が収録中に大喧嘩で 若手有能ディレクターがパニクるようなもん
    (昔ながらの人は またかw と思うだけ)

    40 人間七七四年 :2007/03/05(月) 19:26:41 ID:daS9Iu1D

    >>39
    何だ面白い喧嘩かよw

    58 人間七七四年 :2007/10/16(火) 22:53:45 ID:AbgAATqf

    九州征伐~自害までの島津歳久。

    特に自害の時、兄の義久が放った追手がなかなか自分を殺してくれないので
    自分で腹を切ろうとしたんだけど病気で刀が握れなかったから
    そこらへんの石で頭をぶってみたけどやっぱり死ねなくて、しかもむちゃくちゃ痛かった。
    その時に
    「女性は子供を産むとき、死ぬような痛みを味わう。自分の死後はその痛みを少しでも和らげてやりたいものだ」
    と言ったという。

    63 人間七七四年 :2007/11/02(金) 23:49:39 ID:Ypc2+khU

    郡山城には人柱の代わりに百人一心の石碑が埋まっている。
    伊達輝宗の遺徳を慕い殉死が相次いだ。その中には低い身分から異例の出世をした者もいた。
    謙信が佐竹義重の武勇をみて「我が武略を真に継げる人物はあなただけです。この長刀は老後に杖として使うつもりでしたがあなたに託そうと思う」と言って刀を贈った。
    しばらくして手取川で織田軍5万を2万で破った謙信は死去した。義重はこの宝刀を大切に想い武神の魂としていつも手入れを欠かさなかった。
    義重もいつしか歳をとり息子の義宣に我が武略の魂として長刀を与えた。
    少し経ってから義宣に会った義重は何やら見た事がある刀を見かけて不思議に思って聞いてみた。「なんだその刀は見た事あるな?」
    すると義宣はニコニコしながら答えた。「あぁこれは過ぐる日に父上からもらった長刀です。なんか長すぎて柄に収まりづらくて使いづらいから短く切断しました♪だいぶ使い易くなりましたよ!」
    それを聞いた義重は悲しい表情をして空を仰いで「あぁ我が武神も去ったか」と嘆息した。その後義宣は常陸一国から転封され出羽秋田に飛ばされた。

    64 人間七七四年 :2007/11/03(土) 12:13:20 ID:2G+Lmnvj

    >>63
    それがかの有名な「小豆長光」なんですか?
    だとしたら哀しすぎる。・゜・(つД`)・゜・。

    75 人間七七四年 :2007/11/30(金) 02:39:49 ID:Lt9E0FqU

    >>63
    郡山城の石碑は百万一心じゃなかった?

    78 人間七七四年 :2007/12/07(金) 20:15:24 ID:QgR+6BKz

    北条早雲が可愛がってた小鹿のために大勢ではるばる小田原まで
    捜しに来た話は泣けた

    92 人間七七四年 :2007/12/23(日) 00:48:27 ID:H4vgtw/D

    さて、出羽国横手城主小野寺義道は、武勇あるも政治に疎く関ケ原において
    仇敵最上義光と争い西軍についたことにより改易され石見国津和野に流された。
    配流先津和野の領主は宇喜多家の一族である坂崎直盛である。
    後に坂崎直盛は大阪の陣で戦功をたてるものの、その件(俗に言う千姫一件)に
    よって自害、改易となった。

    坂崎直盛の十三回忌、彼の墓を立てた者こそ、誰あろう小野寺義道であった。
    江戸幕府により取り潰しにあった者の墓を建てる者などなかなかいる者ではない。
    配流時代に遇してくれた坂崎直盛の恩に報いるためのことであった。

    後に、小野寺一族は津和野の新領主亀井氏の臣下となり厚く遇されたという。

    103 人間七七四年 :2008/01/05(土) 15:45:47 ID:JkiTRbTO

    >>92
    これは本当にいい話だな。柳生宗矩といい。坂崎は人望はあったんだよな。

    93 人間七七四年 :2007/12/24(月) 13:17:39 ID:+XnDSDjr

    立花宗茂の実父高橋招運は息子宗茂が守る堅固な立花山城に撤退するよう
    に勧められるも小さな岩屋城で700かそこらで島津の大軍相手に奮戦し
    時間を稼いで全員玉砕。息子宗茂も島津軍を長期戦に巻き込み、豊臣軍の
    九州上陸で撤退する島津軍への猛攻に繋げた話は泣ける。父招運の自己
    犠牲が息子宗茂の運を招いた。
    宗茂は関が原には西軍で参戦し(後方の為に無傷)撤退の際にボロボロの
    島津軍と一緒になり「この機会に父上招運様の仇を討ちましょう。」と進言
    する家臣の意見を退け、島津軍を警護して無事に九州まで送り届ける。その
    後、東軍側から攻められた宗茂を救援する為に島津が援軍を送った話も良い
    話では。

    372 人間七七四年@全板トナメ開催中 :2008/06/07(土) 23:24:27 ID:gc3XR7nF

    >>93絡みで岩屋城ネタ
    岩屋城が落城して間もなく、敗戦を知ないまま立花山城から立花宗茂の使いの兵が高橋紹運宛の書状をもって岩屋城へきた。
    が、時既に遅く全員玉砕の岩屋城。使いの兵は島津軍に捕らわれ、そのまま従うよう命じられる。
    立花宗茂の使いの兵はそれを断りこう言った
    「一つだけお願いがあります。その書状を読むのは私の首をとってからにしてください」
    その答えに島津の将は心を打たれ、書状を読まずにその兵の縄をほどき、立花山城に無傷で送り返した。

    373 人間七七四年@全板トナメ開催中 :2008/06/08(日) 10:06:54 ID:s/ItF2dT

    >>372絡みで立花宗茂ネタ
    関が原の戦いで西軍に味方したため、戦後領地を没収され浪人となった
    宗茂。彼を見捨てず、虚無僧や物乞いまでして宗茂を支え続けた家臣達。
    その主従愛に感動した徳川秀忠は、彼を筑後柳川十一万石の大名として
    取り立てた。
    かつての領地に返り咲いた宗茂と家臣達は、さっそくかつての家臣を呼び
    寄せ、新たな家臣を雇った。たちまち宗茂の屋敷は家臣達であふれかえった。
    そこで宗茂が浪人時代から支えてきた家臣達が進言した。
    「家臣も増え、今の屋敷では手狭でございます。そこで屋敷をもっと大きく
    建て替えて、部屋も廊下も広くいたしましょう。」

    374 人間七七四年@全板トナメ開催中 :2008/06/08(日) 10:25:39 ID:s/ItF2dT

    >>373続き
    だが宗茂は首を振って言った。
    「いや、屋敷は狭いままで良い。」
    家臣達は「何故?」と首をかしげた。
    宗茂は目に涙を浮かべて言った。
    「なぜなら俺が浪人となっても、お前達は俺を見捨てず、
    物乞いをしてまで俺を支えてくれた。俺にとってかけがえ
    の無い、愛しい家臣だ。もし屋敷を広くすれば、お前達と
    こうして顔を合わせる事も減り、疎遠になるだろう。
    それは嫌だ!それなら屋敷が狭いほうが、俺は嬉しいのだ。」
    家臣達は涙で言葉も出なかった。

    694 人間七七四年 :2008/08/18(月) 13:37:18 ID:T+VQEqRd

    >>374
    泣いた。・゚・(ノД‘)・゚・。

    96 :2007/12/24(月) 16:08:33 ID:viy/F7Oi

    あはは

    105 人間七七四年 :2008/01/21(月) 16:25:15 ID:HJZ6a2SQ

    松永久秀と三好三人衆は12月25がクリスマスだったため停戦をした

    106 人間七七四年 :2008/01/21(月) 20:08:34 ID:D4r7+gMv

    >>105
    『殿~!今宵は栗酢益で御座いマス。』

    『うむ!ならば休戦じゃ!足袋を用意せい!』



    全米が鳴いたわ…。

    107 人間七七四年 :2008/01/21(月) 20:36:51 ID:CaFm7dar

    どっちも家臣に切支丹がいたからな
    停戦中に初めて日本でクリスマスパーティが開かれたのは有名な話

    108 人間七七四年 :2008/01/21(月) 21:57:07 ID:DQPDiV4b

    >>105-107
    ネタかと思ったらマジなのか

    112 人間七七四年 :2008/01/24(木) 21:49:53 ID:8FNmf2rq

    >>108
    ただ、色々説はあって、久秀の相手は三人衆だったり義継だったり
    後、一時期信長と争った際にもクリスマス休戦があったとか(これは日付的に無理があるが)

    初めてっていうのは大内氏領内っていう異説もあり

    116 人間七七四年 :2008/02/07(木) 22:34:34 ID:xDk3rSLG

    長宗我部元親は阿波の中富川で三好(十河)勢と決戦をした。
    紀州の雑賀衆は元親に味方して、二千余の兵を援軍として送ったが、海が荒れて遅刻。
    ついたときは、戦いが終わり、三好方の勝瑞城も落ちていた。
    雑賀衆は遅参を恥ずかしがり、
    「これから讃岐の三好方の城を攻めにいく」
    といったが、元親は、
    「志はうけとった。海をこえてはるばる来てくれたというだけで、十分にありがたいし、嬉しい」
    といい、新たに阿波から紀伊にかけての海上の警備をたのんで雑賀衆を帰した。
    そのさい、米二百石と馬、鞍、太刀、脇差しなどを、援軍のお礼として雑賀衆に与えた。
    (南海治乱記)

    118 人間七七四年 :2008/02/08(金) 14:03:57 ID:ynMgaej+

    >>116
    その雑賀が、本能寺前には織田方に付いてたのは皮肉だな。

    120 人間七七四年 :2008/02/09(土) 18:48:15 ID:br4oOdDz

    関ヶ原の合戦後、立花宗茂は大名から浪人に転落した。
    かねてより宗茂と新興があった東軍の大名のなかには彼の武名を惜しんで、
    召し抱えたいというものも多かったが、宗茂はそのいずれも丁重に断った。
    彼は、
    「我が身惜しさに、太閤との誓いを裏切り、親しき友を討つようなものたちの仲間入りはできない」
    といった。
    そして、
    「わしは天に誓って、わが生き方を恥じておらぬ。天運あれば、きっとふたたび立花の名を興す時がこよう」
    と家来たちには言った。
    しかし、その機会はなかなか訪れなかった。
    宗茂は肥後を追われ、京都、江戸と転々と住まいをかえて、流浪した。

    江戸の高田、宝祥寺の一隅を借り住まいとしていたころのことである。
    宗茂が国もとを出たときの路銀はとうに消え失せ、主従は日々の米にこと欠いていた。
    由布雪下、十時摂津ら、宗茂の家来たちは槍、甲冑も売り払って金銀を得たが、それでもなお食えない。
    彼等は、宗茂に隠れ、傭われ人足や托鉢僧、ひどいものは乞食に身をやつして銭をかせぎ、なんとか日々を暮らしていた。

    121 人間七七四年 :2008/02/09(土) 18:48:59 ID:br4oOdDz

    ある時、寺の檀家が、宗茂らの困窮を知って、炊いた飯をわけてくれた。
    由布雪下らはありがたくそれを頂き、その飯で干飯をつくることにした。
    干飯とは元来は陣中食であるが、平和な時代は、食べるものに無いときの備蓄食である。
    つくりかたは単純。日に飯をさらして乾燥させるだけである。
    秋晴れが続き、江戸ではしばらく雨がふっていなかった。
    これならば大丈夫、と、由布らは、飯を干したまま、いつものように宗茂ひとりを寺に残し、みなで人足の仕事をしにいった。
    ところが。
    どういうわけが、この日にかぎって、天に雲わき、午後、にわかに雨がふりだした。
    人足仕事は雨のために早く終わった。
    由布や十時ら急いで、寺にもどった。
    道すがら、
    「しまったぞ」
     と十時摂津がいった。
    「飯はダメになってしまうだろうな」
     十時は朝鮮・碧蹄館の戦さで武名をあげた男だが、このときは干し飯のこと頭がいっぱいであった。
    雨にぬれれば、干し飯は食べられなくなる。それは一大事であった。
     そして、この心配は十時ひとりのものではない。ほかの家来たちもそうだった。
    「大丈夫だ」
     と家来のひとりが十時だけでなく、自分をも励ますようにいった。
    「殿は聡いかただ。この雨をみて、きっと干し飯を屋敷のなかにしまってくれている」
     そのとき、最年長の由布雪下が、
    「馬鹿なことをいうな」
     と叱った。
    「馬鹿なこと?」
     十時や家来たちは驚き、由布に問い返した。
    「そうじゃ」
     由布は言う。
    「大将は雨をみて、兵を考え、民を思うものじゃ。殿は大明まで知られた日の本一の大将ぞ」
     もし、と由布はしわがれ声をくぐもらせていった。
    「目前の干し飯などという些事に心を奪われるようでは、殿の人品、地に落ちたのじゃ」
     十時らは黙った。
    「もし、そうであれば、立花の家が再び天下に立つ日などない」
    「そのとおりじゃ」
     十時は顔をあらためた。
     他の家来たちも、みな静かに深くうなずき、みな一様に暗く、神妙な顔になった。
     祈るような気持ちで、家来たちは、寺の門をくぐった。
     雨は激しさをましていた。
     萩の花のさく庭をみた。
     板の上のならべられた握り飯は雨にうたれている。
     みるも無惨に崩れ、あるいは流れ、地面におちて、泥にまじっていた。
     家来たちは呆然としてそれをみたあと、屋敷のほうへ顔をむけた。
     そこでは宗茂は端然として書見をしていた。
    「殿!」
     十時が吠えた。
     大きな身体をふるわし、手を雨の中にあげ、万歳、とさけんでいた。
     ほかの家来たちも声をあげて叫び、笑った。濡れた飯をすくいあげて、雨になげるもの、抱き合って泣きあうもの。
     宗茂はわずかに顔を庭にむけると、書見をやめた。立ち上がった。
    「爺」
     といった。
     ひとり、天を仰いでいた由布雪下がその声に、その皺と戦さ傷だらけの顔をむけた。
    「なんだ、みなは、雨がそれほどうれしいのか?」
    「そうですな」
     由布の頬に涙が雨とまじっている。
    「うれしいですわい」

    125 人間七七四年 :2008/02/09(土) 21:54:26 ID:QCD0h5Rq

    >>120-121
    宗茂は名将だが坊ちゃん育ちで生活力が無かったらしいから、
    家臣も苦労したんだな・・・。

    156 人間七七四年 :2008/02/19(火) 22:10:17 ID:JerCbyGf

    >>120-121
    立花宗茂にこのような話がありましたか。
    ただ…似たような話、水野勝成にもあるんですよね。

    142 人間七七四年 :2008/02/12(火) 13:24:58 ID:Ae8IrA+b

    賤ヶ岳戦の終了後、怪我をしていた佐久間盛政が褒美狙いの農民に捕らえられ引き出された
    縄を打たれた盛政を見た秀吉は慌て、繰り返し謝罪し縄を解くよう御側衆に命ずる
    秀吉は賤ヶ岳の盛政采配に感激し家臣になってくれと二時も口説き続けた
    秀吉 「加賀、越後、関東好きなところをやる。頼む俺の家臣に加わってくれ」
    盛政 「筑前殿の計らい誠に嬉しく思いますが、こたびの敗戦は某の責任でござる」
        「勝家殿の恩を忘れる事も出来ず。某の命数が続けば必ず筑前殿の首を取ります」
    ここまで明確に否定されて、さすがの秀吉も家臣化を諦め死罪を言い渡す
    切腹を命ずるも断固拒否。市中引き回しの上磔を所望する盛政でした
    そこへ盛政に討たれた中川清秀の息子が秀吉呼ばれ
    秀吉 「この男がお前の父を殺したのだ。憎いだろう?」
    息子 「いえ父上を討つ事の出来る武将は大変立派な武将と思います。勝も負けるも兵家の常、憎いなどと思いません」
    盛政 「なんと立派な御子息をお持ちか。この方が我が娘の婿なら嬉しいかの」
    数年後秀吉の勧めで仇同士の子供だった二人が婚約する事になりました
    天国の盛政からみると「なんだあのサル結構いい奴じゃん」と思っていた事でしょう

    ※盛政を捕らえた農民ですが厳しい褒美が出されました
    秀吉「農民の分際でなんと言う事をしてくれたのだ。お前らへの褒美は磔よ」
    と全員死罪となりました

    144 人間七七四年 :2008/02/12(火) 13:47:50 ID:EF2T3KE/

    >>142
    いい話なのだが、これを見るだけでも太閤が百姓の出というのは、
    ちょっと無さそうだな。

    145 人間七七四年 :2008/02/12(火) 14:18:18 ID:nvqDIdHl

    >>142
    その「盛政の娘」つーのが中川清秀の息子より10歳も年上だったというのも付け加えてやって下さいw
    ※ただし、年齢についてはガセ説もあり

    154 人間七七四年 :2008/02/17(日) 11:23:38 ID:EwKX5lQJ

    >>145
    中川清秀 1542生
    中川秀成 1570生
    佐久間盛政 1554生
    この微妙な差。

    155 人間七七四年 :2008/02/17(日) 13:23:54 ID:Sbqj/qix

    >>154
    えーと、盛政6歳時に生まれた娘か
    すごいな、サルが家臣に欲しがるのもわかるわ

    237 人間七七四年 :2008/03/02(日) 15:48:52 ID:3J2971oz

    死ぬ直前の
    直家「わしが死んだら誰が殉死してくれるかなっ♪」
    家臣「我らの代わりに坊さんを殉死させて、あの世の道案内させます」
    直家「坊さんか…じゃあ殉死は禁止でいいよ…ショボーン」
    という逸話はいい話っていうか、直家ちょっとかわいい。

    239 人間七七四年 :2008/03/02(日) 20:07:26 ID:9CHqtdsi

    >>237それ最初俺も浮かんだんだがよく考えると確か黒田如水の逸話じゃなかった?

    243 人間七七四年 :2008/03/04(火) 18:41:52 ID:0BN6ID9k

    >>239
    如水は晩年嫌な奴になって家臣団が長政派になるように仕向けたんだよな

    240 人間七七四年 :2008/03/03(月) 05:06:59 ID:miXZgLqy

    >>237
    GJ
    本家・戸板康二の「ちょっといい話」に載ってそうなエピソードだわw

    242 人間七七四年 :2008/03/04(火) 18:28:56 ID:rehVFhf9

    >>237
    違うわ!幼い秀家を残して先立つから心配で一人でも多く家の人間を残すために殉死を遠回りに禁止したんだよ

    しかし後に家臣団が分裂して御家騒動を招くある意味泣ける話し

    249 人間七七四年 :2008/03/06(木) 20:48:02 ID:TzDlHsg6

    他板のコピペ

    加藤嘉明にはある宝物があった。
    それは南京の陶器である10枚そろった「手塩皿」。
    大事な客が来た時は、いつもこの手塩皿でもてなしていた。

    ところがある日、側近の若者が誤って皿を一枚割ってしまったのである。
    若者は青くなり、打ち首になるだろうと死を覚悟した。

    しかし嘉明は残りの9枚を持ってきて、なんと残らず全て割り始めたのである。
    これには若者も驚いた。

    すると嘉明は、
    「残りの皿をそのままにしておくと、この皿を出すたびにお前は仲間から白い目で見られる。
     だったら全て無くしてしまえばいいのだ」
    と言って笑ったそうな。

    250 人間七七四年 :2008/03/06(木) 21:59:52 ID:xcYr/T3r

    >>249
    いい殿様だなー

    265 人間七七四年 :2008/03/23(日) 06:03:24 ID:/9M3T9ey

    加賀の殿様というと家臣3人に「あそこの星見える?」って聞いて
    一人目が「見える」といい二人目は「ぱっとみ見えないけどよく見たら見つけたよ」といって
    三人目が「残念ながら見えません」というと
    三人目に「本当の目を持っているのはお前だけだなぁ・・・」って嘆息した人がいるらしい

    全然いい話じゃないかw

    269 人間七七四年 :2008/03/24(月) 14:02:41 ID:Y6Rd8lBQ

    >>265
    それってもしかしてこんな星?

         ★
      ★
            ★

         ★

         ★

        ☆ ★

            ★  

                         今夜は妙に星がきれいだクマ・・・


                             ∩∩   _,,-''"
                           _  ,(ェ)・/^),-''";  ;, '
                          / ,_O_,,-''"'; ', :' ;; ;, ''
                         (.゙ー'''", ;,; ' ; ;;  ':  ,  '
                       _,,-','", ;: ' ; :, ': ,:    :'
                    _,,-','", ;: ' ; :, ': ,:    :'

    270 人間七七四年 :2008/03/25(火) 02:53:44 ID:V9Hribd8

    >>269
    フラグ立ってるじゃねーかwwww

    272 人間七七四年 :2008/03/28(金) 00:09:04 ID:B2H7Y8dJ

    >>269
    ちょww
    それは見えちゃいけない星wwww

    277 人間七七四年 :2008/04/01(火) 08:23:44 ID:4RUV594y

     越後を支配していた戦国大名の上杉謙信は毘沙門天を熱心に信仰していた。
    彼は重臣たちとの会議は毘沙門天をまつる毘沙門堂で行うのを習慣にしており、重要な命令も
    毘沙門堂で行うことにしていた。
     ある日、謙信のもとに領内で大規模な一揆が発生したとの知らせが届いた。これは一大事と
    謙信はその場で配下の武将に出撃命令を下した。それを聞いた重臣たちは「そのような命令は
    毘沙門堂で行うのが習慣ではありませんか?」と問うた。すると、謙信は「今は一刻を争う。
    毘沙門堂に皆を集める余裕はない」と答えた。
     重臣たちは、それでは毘沙門天が怒るのではないかと心配したが、謙信はこう言い返した。
    「もたもたして一揆の鎮圧に手間取るほうがよほど問題だ。それにこの越後の地で毘沙門天が
    盛んに信仰されているのは私が手厚く保護しているからだ。むしろ私の方こそ毘沙門天から感謝
    されてもいいくらいだ。これくらいで怒るはずがない」

     熱烈な毘沙門天の信者と思われていた上杉謙信。だが、実は信仰一筋に縛られていない柔軟な
    思考の持ち主であることを示すエピソードである。

    278 人間七七四年 :2008/04/01(火) 09:09:41 ID:wdS/xsVu

    >>277
    いい話だな。ソース教えて。

    281 人間七七四年 :2008/04/02(水) 08:30:06 ID:zO5UfsSw

    >>278
    たしか「決断の条件」というビジネス書の中で紹介された話だったと思う。
    家の本棚のどこかにまだあるはずだから調べてみるよ。

    337 人間七七四年 :2008/04/18(金) 02:59:18 ID:n2WOmkCO

    有名な話だけどまだ出てないので一つ

    黒田官兵衛は謀反を起こした荒木村重を説得するべく、
    秀吉に命じられて村重の有岡城へと赴いた
    しかし官兵衛は有無言わさずに村重に牢屋に閉じ込められてしまう
    有岡城へ説得しにいった官兵衛が行ったきり帰ってこない
    このことを知った信長は官兵衛が村重に寝返ったと勘違いし、
    人質にとっている官兵衛の息子・松寿丸(のちの長政)処刑するように秀吉に命じる
    秀吉は迷った挙句、信長の命令なので従おうとしたが、
    竹中半兵衛が独断で信長には松寿丸を処刑したと報告し、密かに匿って
    石田正継(三成の父)の元へ隠しておいた

    やがて有岡城が織田の軍勢によって落城し、中からやせ細った衰弱した男が出てきた
    足に障害を持っており、知っているものが彼が官兵衛であることに気づいた
    秀吉は官兵衛が生きていたと知って喜んだが、官兵衛の息子を殺してしまったことに
    罪悪感を覚えて素直に喜ぶことができなかった
    するとそこに半兵衛が密かに松寿丸を匿っていたという報せが届いた
    これに秀吉は自分の面目が立って喜び、官兵衛の方も息子の命を助けてくれた
    半兵衛に感謝しても感謝しきれぬ思いを抱いた

    しかしその時既にことの功労者である半兵衛は世の人ではなく、
    中国攻めの陣中で没していた
    官兵衛は息子の恩人である半兵衛に感謝の言葉を直接言えなかったことを深く悲しんだと言う

    一方信長は生前の半兵衛が自分に内緒で松寿丸を匿っていたと知ると呵呵大笑した
    「さては半兵衛め、またしてもやられたわ」
    と呟いたという

    半兵衛はその以前にも秀吉に進言して、柴田勝家の軍勢から無断退却させ
    信長に反抗したことがあった
    半兵衛が官兵衛の息子・松寿丸を匿ったことは
    ある意味彼なりの信長への挑戦だったのかもしれない

    341 人間七七四年 :2008/04/18(金) 11:34:39 ID:/c/bhcs8

    >>337
    地味に正継の人の善さが伺える話でもあるな。

    339 人間七七四年 :2008/04/18(金) 08:25:02 ID:H668oxs4

    ザビエルが日本にキリスト教の布教に来たときの話。

    ザビエルが道端でキリストの教えを説いていると一人の男が質問してきた。
    「キリストの教えを信じない不信仰者は死後に地獄へ落ちるそうだが、それなら、去年亡くなった
    うちの祖父はキリストの存在自体知らなかったのだから地獄へ落ちてしまうのか?
    祖父はとても良い人で周りから尊敬されていたのにおかしいではないか。あなたの説く教えが
    それほど素晴らしいものなら、なぜもっと早く来てくれなかったのだ?」
    この質問にはさすがのザビエルも返答に困り、後に本国への手紙で、日本において布教するには
    論理学の知識が必要である、と報告した。

    340 人間七七四年 :2008/04/18(金) 08:40:26 ID:Irm3ufk0

    >>339
    そいつ、凄いな。

    362 人間七七四年 :2008/05/02(金) 14:53:27 ID:04mdqQMU

    家臣に城を追い出され、暗君のイメージで語られる山名豊国。

    江戸時代になって旗本(交代寄合)となり、但馬に領地をもらって帰ってきた。
    帰郷した豊国はかつて毛利と結んで謀叛を起こした重臣の武田高信
    (結局毛利に使い捨てられて殺された)の息子をはじめ、
    かつて自分をひどい目に合わせた旧家臣の子を快く召抱えたという。

    364 人間七七四年 :2008/05/04(日) 17:53:07 ID:8gfY2BQu

    >>362
    人がいいな

    422 人間七七四年 :2008/07/05(土) 12:09:12 ID:MSxhTdI6

    関が原の合戦の後しばらく戦の無い年月が過ぎたころ、
    ある若者が可児才蔵の武勇を知り、試合を申し込んだ。
    当日現れた才蔵は、甲冑に旗指物という姿、さらに銃を構えた配下を一人連れていた。
    驚いた若者が「1対1のはずだが?」と言うと、
    「わしの試合とは全てこのような実戦である」と答えた。

    423 人間七七四年 :2008/07/05(土) 12:17:22 ID:2oIztn+T

    >>422
    家康の、「橋の前で馬を降りる」と、本質的には同じ話だな。

    476 人間七七四年 :2008/07/12(土) 11:04:47 ID:iKrK589Q

    正宗三連発

    ・伊達政宗、自邸に将軍の御成りが決まり、幕閣一同下見に訪れる。そこで将軍への進物の話になり、
    政宗、長さの違う二振りの脇差を出してきて、「どっちがよろしいかな?」と聞いてくる。酒井忠世と土井利勝が
    「長いほうかな?」と答えると、その答えを何故か気に入らなかった政宗、急に怒り出し

    「短いほうでも、お前のわき腹ぶっ刺せるんだぜ」

    と、良くわからない威嚇を始める。幕閣一同笑ってごまかす。細川忠興呆れる。


    ・伊達政宗、友達で旗本の加々爪忠澄の額を、何を思ったか突然ひっぱたく。忠澄もとっさにひっぱたき返す。
    →そのまま場外乱闘。拳と拳で男の友情を確かめ合う。細川忠興呆れる。


    ・伊達政宗、島津家久を呼んで茶会を企画。余興として能でもしようと思い立ち、喜多七太夫の所に
    「役者貸せ」と言いに行くも、七太夫「あいにくその日はみんな予定が埋まってまして…」
    これに激怒した政宗「来ないと言うのなら、お前ら全員斬り殺す!」と、堂々のジェノサイド宣言。政宗は本気だ。
    困った七太夫、島津家久に泣き付く。訳を聞いて途方にくれた家久、友達の立花宗茂や寺沢広高と相談の結果、

    「いたたたたたた?あれ?急に、おなかが、痛、いたたたたたた、急におなかが痛くなったよー、これじゃ茶会は無理、
    残念だけど延期するしかないなあーいたたたたた(棒読み)」

    と、不登校の小学生みたいな言い訳をして、五日間の延期に成功。細川忠興やっぱり呆れる。

    477 人間七七四年 :2008/07/12(土) 12:05:31 ID:CCki6Kvx

    >>476
    なんというDQNw

    481 人間七七四年 :2008/07/12(土) 17:07:17 ID:BowFtQy6

    >>476
    島津家久ってとこで笑った

    西国無双のDQN忠恒様さえも途方に暮れる役回りにしてしまう
    政宗おそるべし

    491 人間七七四年 :2008/07/14(月) 21:08:57 ID:6awfvRt+

    秀吉の北条征伐を受ける北条氏

    領民たちに「農民も商人も、戦えるほどのものはすべて参戦せよ!」と、悲壮な総動員を訴える。
    ただし

    「見苦しい格好をしているものはその限りではない」と、ファッションへの強いこだわりも見せる。

    493 人間七七四年 :2008/07/15(火) 15:31:10 ID:0oBXTggl

    >>491
    なぜだかわからないけど、北条らしいというべきか…

    496 人間七七四年 :2008/07/15(火) 20:30:05 ID:AlKY6CLr

    将軍暗殺で有名な嘉吉の乱の首謀者の一人、赤松則繁。彼は乱のあと行方不明になっていた。
    新将軍義勝の元に、死亡した将軍義教を弔うために高麗から使節がやって来た時、
    そういえばあいつはどこに行ったのかねえ、と、その話題が出た。
    高麗使節が「それはどのような人物なのですか?」と聞いてきたので、幕閣たちがそれを説明すると、
    かの使節、みるみる顔を青ざめさせ、こう叫んだ、

    「そいつ!今我が国を襲撃している倭寇の頭領!!」



    一同、則繁が元気でいることを知りほっとする。

    500 人間七七四年 :2008/07/16(水) 12:40:57 ID:d+m9FLXM

    >>496
    そんで、倭寇として備中・河内まで攻め込んでくるんだよなw
    壮大なロマンを感じさせる武将やなぁ 100点




    | 11:27 |

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